アホリズム その1(ヴィトゲンシュタイン) [哲学]

「世界がどのようであるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである」
(『論理哲学論考』より)

 この言葉を知った時には、「ホントその通り!」と、膝を打つような感じを覚えたものだが、いま改めて読むとあまりしっくり来ない。
 世界が存在していること自体を「神秘」と呼ぶのは、「言葉は無意味である」という言説と同様にナンセンスであるような気がする。
 また、「世界」よりも「神秘」という概念のほうがプライオリティが高く設定されていることに、そしてアプリオリ的に措置されていることに違和感を覚えるのだ。
 
 神秘的。
 たとえば、隣の家で飼っているネコが突然、日本語で話しかけてきたら(英語でもOK!)、これはいささか神秘的である。 確率論や蓋然性では割り切れないような、ありえなさ。 ネコが話しかけてきたことを事実として認める前に、たいていの人が自分の精神状態を疑うだろう。漫画で主人公が自分の頬をつねる場面だ。
 しかし、現実世界に生きていると、ネコが話しかけてくるほどのことはないにせよ、頬をつねりたくなるような神秘体験に遭遇することがままある。そういう神秘体験があるからこそ「神秘的」という概念が生まれてきたのであり、それを踏まえてでないと、世界存在そのものを神秘的とする論考は生まれてこない。

「世界がいかようであるかが神秘的なのではなく、神秘的と感じる機能が人間には備わっている」

このように変えてみたけど、全然しっくりこないな。岸田秀の「人間は本能が壊れた動物である」というディスクールに似た逃避的ツジツマを嗅いでしまう。(自分で改竄しておきながら…)

なんだかだめだ。
何を考えてもウロボロス的なラビリンスに迷い込んでしまう。
要するに論理的思考に向かないのだ、オレは。
哲学的思考に優れている人を本当に羨ましく思う。


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