文學ザッパ 其の六 [文章]

任意の5作家の本から、1センテンスだけを抜粋する、
なんとも目的がよくわからない試み。

久々となる今回は、超有名な冒頭文をピックアップする。
20世紀前半、国内小説篇。文豪の時代。


■山路を登りながら、こう考えた。
   夏目漱石『草枕』 1906年


■ある日の事でございます。
   芥川龍之介『蜘蛛の糸』 1918年


■木曽路はすべて山の中である。
   島崎藤村『夜明け前』 1929年~1935年 


■国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
   川端康成『雪国』 1937年


■永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。
   三島由紀夫『仮面の告白』 1949年



さすがに有名な冒頭文はツカミが巧みですね。
これほどの大御所ともなると、コピーライター的なセンスもあるんだろな。



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文學ザッパ 其の五 [文章]

任意の5作家の本から、1センテンスだけを抜粋する。
今回は冒頭の一文を拾ってみた。


■くすぐったい、と思って房子が目をさましてみると、ベッドのまわりを蛾がとんでいた。□
   江國香織 『蛾』


■不幸な男がうまれた。□
   司馬遼太郎 『人斬り以蔵』


■東京都江東区高橋二丁目の警視庁深川警察署高橋第二交番に、同町二ノ三所在の簡易旅館「片倉ハウス」の長女がやってきたのは、平成八年(一九九六年)九月三十日午後五時頃のことであった。□
   宮部みゆき 『理由』


■麻布六本木の辰床の芳三郎は風邪のため珍しく床へ就いた。□
   志賀直哉 『剃刀』


■私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と、つやつやと輝く紅いその実の一緒にながめられる、九月なかばのことでした。□
   武田泰淳 『ひかりごけ』



物語はこうして始まる。




タグ:物語
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文學ザッパ 其の四 [文章]

任意の5作家の本から、1センテンスだけを抜粋。
つまらなくても続ける。

この作業をやってみて感じたのは、
文章というのは、センテンスが平面的・一方向的に並べられたものではなく、
立体的・多方向的に組み合わさった複雑な集合体だということ。

それだけに、1センテンスだけ取り出しても意味をなさないし、全体像が見えない。
が、ある程度の長さのセンテンスには著者のクセが表れる。


■ゆうべは妻の尚美相手に延々と水泳の効用を説き、風呂にまでついていったところで厭がられた。□
   奥田英朗『イン・ザ・プール』


■唇と歯のあいだで、砂と唾とを分離し、歯にこびりついて残った分だけを、指先でこそげおとした。□
   安部公房『砂の女』


■第五位の、家出なんかはよくやったものだと我ながら思う。□
   角田光代『人生ベストテン』


■「蛇の道はヘビっていいます」と牛河は両手の手のひらを広げ、楽しい秘密を打ち明けるように言った。□
   村上春樹『1Q84 BOOK3』


■妻は仕事で得られるある種の達成感を知っていただけに、退職後もただ家庭におさまるより、社会とかかわりをもつことを望んで、積極的にボランティア活動に勤しんでいたのです。□
   倉嶋厚『やまない雨はない』



※またしても、盲牌で村上春樹をつかんでしまった…
タグ:文章
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文學ザッパ 其の参 [文章]

任意の5作家の本から、1センテンスだけを抜粋。
この作業に何の意味があるのか。


■電話では悪いと考え、杯を返しかたがた直接出むいたが、彼はリビングの編集機の台に向い合っていて、その顔も散乱するフィルムも、ベランダからの夕陽に染っていた。□
   田久保英夫『白光の森』


■誰でも一度は、母親という女性の身体の中にはまっていたことがあるのに、父親の身体の中というのは、どうなっているのか知らないまま、棺桶に入ってしまう。□
   多和田葉子『ゴットハルト鉄道』


■起ち上がって、手にした罐を戸棚に納いながら、自分の病気ばかりにかまけた迂闊さや、こんなふうだから永い病人は嫌われるようになるのだということや、それにつけても梶井に自分のそのような仕ぐさが目障りになりだしたのは恐らく最近のことであろうということなどを一度に考え、彼女は頬に血がのぼるような気がした。
   河野多恵子『蟹』


■しかし私は、この前の時の、お庭の見える座敷を取っておけと云う葉書を出し、従って今日来る事は通じておいたが、彼女等が出迎えるとは思っていなかったから、咄嗟にその人体(にんてい)と顔を再認識したのはえらいと思う。□
   内田百閒『第二阿房列車』


■他の展覧会に出してもいいが、矢張り帝展の方が大勢の人が見てくれるし、金をとるには都合がいいと思うし、母も矢張り何と云うことなしに帝展に通ると一人前の画家になったような気になってくれるので、一つかいてみようかと思っていると云った。□
   武者小路実篤『棘まで美し』
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文學ザッパ 其の弐 [文章]

文章の丸写しは昔の作家がやっていた文章修練法だ。
梶井基次郎は志賀直哉の小説をせっせと書写していたとか。

今回も、任意の5作家の本から、適当な1センテンスを抜き取ってみる。
適当と言いつつ、多少は文章を選んでしまったが。


■そうしたらそのころジャズの研究に友人がニューヨークに行くことになり、七年前だったから、まだそんなに大勢が向こうへ遊びにいくようなブームにはなっていなかったこともあって、送別記念パーティをやった。□
   植草甚一『植草甚一の散歩誌』


■円紫さんは、そういうとコーヒー茶碗を手に取り、暖かい目でその肌を見やり、次いで一口啜った。□
   北村薫『空飛ぶ馬』


■あとで考えれば、通勤電車の往き帰りにこっそりプラトーンを読むなどということは、やはり私は会社員生活のくさぐさに、何かもう一つ物足りないものを感じていたのだろう。□
   車谷長吉『漂流物』


■いまの時代のこの期に及んでね、苦悩しない男っていうのは人間のカスだと私は決めましたもんで、だからハゲなかったらこれはウソだと、ハゲるくらいにもの考えなかったらバカだっていう前提に立っちゃったわけね。□
   橋本治『思考論理学』


■うまく言えないんだけど、ギリシャ人の男って「女性」っていう性に対してある種、尊敬の念みたいなのがあるわけ。□
   田口ランディ『スカートの中の秘密の生活』



とくに講評は書きません。
ただただ、他人の文章を書き写して「巧いなあ…」と感心する個人企画。
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文學ザッパ 其の壱 [文章]

いろんな作家の文章の一部を抜粋してみる。
書棚から適当にピックした本を適当に開き、眼に留まった1センテンスを抽出する。
手始めに5作家で。
はたしてそこに、個性は宿っているだろか。


■そういうときはだいたいいつも夜明け前に起きて、午前中詰めて仕事をし、午後はのんびり運動をしたり、音楽を聴いたり、本を読んだりする。□
   村上春樹『意味がなければスイングはない』

■節子は本箱の前に座布団を敷いて、私を坐らせると、自分はその片隅の小さな坐り机の前に坐り、こちらに横顔をみせたまま、すぐにはこちらを見なかった。□
   柴田翔『されど われらが日々――』

■「エンコウでオヤジから十万円取ってやった」と、大人に勝ったつもりの女子高生が、実は、大人の世界ではたった十万円で解決できることなんか幾つもないと思い知らされてるオヤジに、たった十万円で愚弄されてる事実。□
   町山広美『イヤモスキー』

■大事なものが奪われると聞いて、一時は高村がオニ連中に襲われ、あの“絞り”でちゅうちゅう身体を吸われる、なんていうグロテスクなシーンも思い浮かべていた俺だが、考えてみるとこれも当然の結末だった。□
   万城目学『鴨川ホルモー』

■生きることが美であるということは、わかりやすく言えば、たとえば鳥が鳥として、花が花として生きよう、成長しようとしているときには、美しさを表す、ということである。□
   平山郁夫『絵と心』


【こうひょう】しっかり宿ってた。こせいが。
しかし、よりによっていきなり春樹かい。相変わらずサイボーグみたいな逡巡のない生活してやがるな。同じ人類とは思えません。
柴田氏のは時代を感じさせますね。節子とか坐り机とか。つましく生真面目で、しっとり冷んやりした空気感。
町山女史はエンコウの話。この文は巧い。けど、エンコウって10万円もするの? アホらしー。
万城目サン、なにが当然の結末なんだかわかんねー。けど、たしか全編こんな文体だった記憶アリ。
平山先生、まさに先生による先生そのものの文章。でも、どうやら目ぼしいことはなにも言っていないようだ。

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